7月20日_バトンのせい

中学生の時は陸上部でした。

女子部員が少なかったので、駅伝、800m、200m、100m、走り幅跳び、走り高跳び、砲丸投げ、リレー。

色々やりました。

最終的には三種競技B(走り高跳び、100メートル、砲丸投げ)とリレーで落ち着いたのですが、ありとあらゆる種目をとりあえずさせてもらいました。

この環境は今思えば幸運でした。

性格的にずっと一つの種目だけを毎日繰り返すのは合ってなかったような気がするからです。

とりわけリレーはバトンパスで如何様にもタイムを縮められる面白い種目。
逆に言えばバトンの失敗はすなわちレースでの敗北を意味します。

超速の先輩二人のおかげで、近畿大会3位にまでなれました。
確実に1年生の私たち2人が足を引っ張っていた。。
ラッキーでしかない。。

速さで劣る私たちはかなりバトンの練習をした。

下から渡すやり方、上から渡すやり方、垂直に渡すやり方。
バトンの渡し方もさまざま。

自分たちに合ったバトンの渡し方を模索し(先生が)、ひたすらに練習。

止まったまま腕振りの呼吸を合わせて、後ろからハイ!と言われたからさっと手を後ろに出す。

今思い返しても芸術性の高い、完成度の高い(中学生の中では)バトンパスをしていたと思う。

来る日も来る日もバトンの練習。

真っ暗になるまで練習してた。

*****

何年か前に気づいた。

右肘ちょい上に大量のそばかすみたいなホクロみたいなのが集結してできてる。

バトンのせいや。

バトン練習やり過ぎたんや。

なんやこれ。右だけ。

なんやこーーれ!

今日はどんなひとコマを送っていますか?
ニヤリとするひとコマを送っていますように。

■今日のオススメ
なんやこれ。ポロとチノパンだけて。
(Tシャツ制作中)

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この記事を書いた人

バスケ歴:松陽ミニバス→中学は陸上部→甲子園学院高校→園田女子大→大阪ガス(2016年3月退部)

小5で始めたミニバスで将来を嘱望されたが、地元中学にバスケ部がなかった。周りからは越境も勧められたが陸上部に入り、全中出場を果たす。 その後兵庫県でNO,1だった甲子園学院に中学未経験ながら堂々入部。 入学時はバッシュもなく底を綺麗に拭いた運動靴で練習をし見かねて顧問の先生からもらうなど、様々なエピソードの持ち主。「涙は分泌物」と言い放ち、心が鉄のように動かないため、鉄子とも言われている。

大学卒業後は一般企業に勤め、数年プレーしない日常を楽しんでいたが、会社の飲み会にてたまたま大阪ガスの試合に誘われ流れのまま入部。 工場長と出会う。チームでは常に30点は得点あげていた絶対的エース。

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