【GFMG】辞めてしまったことを考える

プレッシャー世代の

どうも、2号です。

(プレッシャー世代とは・・は最後のPSをご覧ください。笑)

ゆとりもちゃんと経験してますが、辞める時は嘘つかへんなー。

思い起こせば、何かを辞めるということが少なかったなー。

自分の意志で辞めたことを覚えているのが、フィギュアスケートと
大学の時の司書免許取得。

学校の図書館で働くためには教員普通免許を取得し、
司書教諭の講習を修了することが必要なんです。

私は教員免許を取得するカリキュラムを組んでいたので
司書教諭の資格もあれば就職に有利かな?とか

そもそも司書さんの仕事ってなに?特別な資格が要るほど特殊なん?とか疑問があったので
授業を受けてみることにしました。

何年か踏ん張ってみましたが、90分の授業でやってることは
びっしりと書かれすぐ消される板書をノートに必死に書き写す。

 

それだけ。

 

手が痛かった。。

思い描いていた司書さんは、幼いころに通っていた図書館にいた人たちの姿で、
それはそれはのんびりしていて、優しく本をたくさん貸してくれる人たちでした。

あの人たちもこんなに必死に板書を書き写してたのか。。

なんかちょっとみくびってました。スミマセン。

誰でもなれると思っていました笑

 

一生懸命板書したものの、結局何が大事なのか、いわゆる「授業の流れ」が全く掴めず
司書にとってどんな資質が大事なのかも全く分からず

資格まであと一歩のところに来ていたのに、辞めてしまいました。

(大学では履修登録をしてから、授業を受けるという仕組みになっています。

自分が受けたい授業を履修登録すれば、どんな授業でも受けられます。

辞める場合は、授業へ行かなくなるか(単位を落とすというもの)、
履修登録をしないという選択があります。

私は履修登録を辞めてしまった派です)

授業してくれていた先生は京都大学図書館の館長さん?偉い教授さん?
だったと思うのですが、

先生すぎて、教えるの向いてない感じでした。。THE大学の先生って感じです。

なんていうか、すごい高いところの話をしていて全然見えないというか。

途中の階段を示してくれないというか。

ピースの又吉さんは、純文学を書いて芥川賞をとるくらい本が好きです。
きっと又吉さんが司書授業を聞いたら結びつくところがでてくるのだろうか。。

階段が見えてきたり、それよりエスカレーターが見えたりするのだろうか。

上の方が見えるのだろうか。

授業を受ける資格が必要だったなら、確実に私には取得できてなかった。。

その先生の教え方が特殊だったのか、わかりやすいのか(私のレベルが低すぎたのか)
それすらも分からなかったなぁ。

 

 

フィギュアスケートは、はっきりと覚えていませんが
確か、

 

ちょっとしんどかったんです。

(偉そうな文章かいてるのに、こんな理由ですみません。(´・ω・`))

お金もかかることも薄っすらわかっていました。
スケートリンクのある場所は限られているし、レッスン代も高い。
(私の先生はうちの状況を見てか、とても良心的だったそうですが)

親が常に同伴し、幼い妹も道連れ。

休憩所で母親が常に居眠りしていたことも覚えています。

小学1年生の終わりごろには、親と一緒ではなく自分一人でリンクまで通うことになりました。

芦屋駅(兵庫県)から摂津富田駅(大阪)まで電車で、はじめて一人で通う道のり。1時間くらいかな?

新快速や快速は、怖くて乗れませんでした。普通電車のみ。

漢字があまり読めない年頃だったので、どこで乗り換えたらよいのか
そもそもちゃんと最寄駅に着くのか。。

乗り換えたら早く着いて、練習もたくさんできることはわかっていました。

でも大阪駅で乗り換えができる自信がなかった。

大きな大人の服が、スーツの黒っぽい色がたくさん目の前にあって
息苦しく思ったことを覚えています。

フィギュアスケートを始めたきっかけは、阪神パーク(今は閉鎖され現在はララポート甲子園というショッピング施設になりました)
が冬の間だけ駐車場をスケートリンクにしていて、

そこが好きで遊びに行った時たまたま、スケート教室(スキー教室と同じようなイメージ)がやっていました。

兄ちゃんを受けさせようと母親は思ったそうなのですが、私がやりたいやりたい病を発症させたので一緒に受けることに。

運動だけはできた私だったので、すごく楽しかった思い出があります。

すると教室が終わったあと、白いフィギュアスケートシューズを履いた女の人(40歳くらい)が
こちらにやってきました。

(スケートシューズ白い・・いいなぁ・・私のん黒や。)

 

「良かったらフィギュアスケートやってみませんか?」

 

その誘いは兄ではなく、やりたい病をもつ私に向けて言われていました。

楽しそうにやっていたからか、群を抜いたセンスを感じたのか(可能性は低い)はわかりませんが

とにかくちょっとしたスカウトを受けました。笑

 

やりたい病を常に潜伏させている私は

「やってみる?」

と聞かれたら、すぐ「やる」と言い、華麗なるフィギュアの世界に入りました。

 

順調に階級も上がり(テストがあるんですよ!○級試験とかあるんです。今は知らないですが)

阪神パークスケートリンクで一人で踊るアイスショーとかもやりました。
ヒラヒラのコスチューム着て。w

今思い返すと恥ずかしいですが、その当時のやりたい病はやんちゃだったようです。

先生にも恵まれていたし、何より期待されていました。

でも、辞めてしまいました。

 

やっぱりちょっとしんどかったんです。・・たぶん・・

 

スケートは好きだったし、リンクに行けばずーっと休憩せず滑っていました。

体力的にしんどいと思ったことはありませんでした。

でも電車で通うようになったころから1年間

 

身長が全く伸びなくなっていました。

 

体重も増えなかった。

 

上に上がっていく階段を示してくれる先生や協力してくれる親がいるのに
階段を上ることができなくなってしまっていました。

当時なんで辞めたいと思ったのか、わかりませんでした。

行くのが苦痛なわけでもフィギュアが嫌いになったわけでもありませんでした。

でも振り返ってみると「しんどい」って言えない自分がいて
知らない間にフィギュアの演技をするだけの体力が無くなっていっていたように思います。

それでも当時を振り返って思うことは楽しかった思い出ばかりです。

不思議ですよね。身長伸びないくらいしんどかったはずなのに。

 

何かを続けるということや、上を目指すことは様々な条件をクリアできなければ
いけませんが、

たとえ外的要因を他人が取り除いてくれたとしても、自分の気持ちが思っているところに
居なければ、進むことができないことがわかった気がします。

よく、友達に相談して、相談事の解決策を教えてもらっても

「でも、でも」

と思ってしまうこと、あると思います。

それに似てます。

いくら人が言ってくれたって、良い意見を言ってくれたって、
そこに自分の気持ちを持ってこれてなかったら
進むことはできません。
(もちろん、人の意見に救われることもたくさんありますが。)

階段が見えない。だから辞める。

階段も上る方法もわかっている。でも気持ちがついていかない。だから辞める。

辞める理由がそれぞれにあるにせよ
どっちにしろ、「自分が決めたこと」なんです。

だからちゃんと伝えるべき。

特に上がる階段を示してくれた人には。ね。

例えなぜ辞めたいか分からなくても「辞めたい」気持ちが確定した以上
相手に適当に相槌を打つのは嘘をついていることと同じです。

私はフィギュアを辞める時、先生に自分で電話をかけさせられました。

うまく説明できないので親に何とかいいように言ってほしかったけど

「やりたいって言ったのは誰?」

と言われ

「辞める時もちゃんと自分で言いなさい」

そう言われ自分で言うことになりました。

そして正直に

「分からないけど、辞めたいです。好きだけど、もうやめたい」

そう伝えたと思います。

先生はとてもすごく残念がってくれましたし
引き留めてもくれましたが、最後は私の気持ちを汲んで承諾してくれました。

辞めた後も阪神パークのスケートリンクへ行くと、たまに先生に会いましたが
笑顔であいさつできたし、後ろめたいことも無く、わだかまりも無く
本当に良い先生に巡り合えたなと思いました。
(個人的にはやっぱり少し申し訳ない気持ちがありましたが)

 

その後阪神パークが閉鎖になり、スケートリンクへ行くこともなくなり
先生に会うことはなくなりましたが、今も先生元気かなぁと思いだすことがあります。

 

自分に無いものを身に付けたいと思った時、やっぱり自分一人ではできません。

教えてくれる人がいて、親の協力があって、環境があって、、、
それらの条件をクリアして初めてスタートラインに立つことができます。

 

その事をわかっているかいないか、これって凄く大事だなと思います。

幼い頃はそんなに気にしなくていいと思いますが、大人になるまでに
気づけるくらいには、親も大人も教えてあげるべきだと思います。

昨日のブログにかぶせると、それも教育だと思います。。。

なにが言いたかったのか。

きっとこのブログを読んでいる人はバスケットを現在もしている人が多いと思います。

たまに辞めたいと思うこともあると思います。

たまにではなくて毎日思う人もいるかな?

でも逆に続けている理由はなんでしょうか。

自分が頑張れる理由はなんでしょうか。

私は、フィギュアも司書資格も辞めてしまいましたが
逆にずっとバスケットボールは続きました。

 

頑張れた理由を私はなんとなくわかります。

頑張ってきた事実も、理由も、そしてそれがとても大事で、
この先もずっと大切な自分の軸であり続けることもなんとなくわかります。

 

そして続けてこれた背景に、何かを辞めた自分、つまり頑張れなかった自分を
認めた事実も忘れずにあります。

これまで言い訳して、相手のせいにして、道筋を作ってくれた人を悪く言って
上がれる階段の存在を無視してきたことありませんか?

たまに過去の自分を浄化して考えをまとめるのもいいかもしれませんね。

過去は変えれませんが、過去から学ぶことは何時だってできる。と思っています。

 

 

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【GFMGは、バスケットボールブログです。】
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この記事を書いた人

バスケ歴:松陽ミニバス→中学は陸上部→甲子園学院高校→園田女子大→大阪ガス(2016年3月退部)

小5で始めたミニバスで将来を嘱望されたが、地元中学にバスケ部がなかった。周りからは越境も勧められたが陸上部に入り、全中出場を果たす。 その後兵庫県でNO,1だった甲子園学院に中学未経験ながら堂々入部。 入学時はバッシュもなく底を綺麗に拭いた運動靴で練習をし見かねて顧問の先生からもらうなど、様々なエピソードの持ち主。「涙は分泌物」と言い放ち、心が鉄のように動かないため、鉄子とも言われている。

大学卒業後は一般企業に勤め、数年プレーしない日常を楽しんでいたが、会社の飲み会にてたまたま大阪ガスの試合に誘われ流れのまま入部。 工場長と出会う。チームでは常に30点は得点あげていた絶対的エース。

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