【GFMG】後悔②

手袋みつかりました。

tebukuro

 

やった!

 

 

どうも2号です。

 

 

 

 

さてさて、昨日の続きの前に

高校時代、この友人が腰を痛めた際のお話。

ずっと腰が痛いと言い続けていた友人。

ある日の練習でついに立てなくなりました。

でも練習を中退してまでその子に付きっきりで介護できるほどの

人数的余裕も、心の余裕もなく、ひとまず部室で横になってもらっていました。

「大丈夫?」と聞きに部室に行くと、「なんか、寒い・・」と言われたので

みんなのコートをかけてあげました。(冬でしたので)

そして練習が終わり、「帰ろうー」と声をかけると

「寒い・・・」と悲壮な青白い顔をして言います。

「大丈夫??もしかして熱があるんちゃう?」

と測ってもらうと、

なんと、、

33.5℃。。。

低すぎる。。

何かおかしいことが彼女の体に起きているようでした。

腰が痛いのと寒いのとで立ち上がるのがやっと。

歩くこともままならない。。

でも、高校生の考えられことは、何とか家まで送り届けないといけない。。

それしか分かりませんでした。

お金もないし、車も無い。

歩いてもらうしかない。。

でもその子体格が良くて私がおんぶして歩ける訳もなく。

他の体格の良いセンターの子(今度結婚式を挙げる子)が駅までおんぶしてくれました。

学校の荷物なんて置いとけばいいのに、全部持って帰らないとあかんと思って、

手分けして荷物も持って、駅へ向かいます。

その間ずっと「寒い・・寒い・・」と繰り返しています。

その子の家は私は帰り道の途中でしたが、だいたいはみんなそれより前に最寄駅があり、

最後は私が送り届けなくてはいけません。

それはいいんです。むしろ絶対送り届けないと使命感すらありました。

ただ現実・・

私なんかよりよっぽど体格の良い彼女、その上みんなのコートで膨れ上がっていました。。
おんぶして運んであげることはできません。。

しかも神戸のその子の家は坂の上にあり、お金も無くタクシーを使えないとなると・・

絶望的な風景が目の前に広がりました。

なんとか早く楽な態勢、病院に連れて行ってあげないと。。

その子の親に早く届けてあげないと・・・。

私はその子のお父さんが、その子の家の最寄駅よりよっぽど近くの駅の近くで

地酒屋創作料理を営んでいることを思い出しました。

「携帯借りるね」

と勝手に電話を借り、その子のお父さんに電話をかけました。

(どうか、どうか電話に出て!!)

プルルルルル

プルルルルルル

・・・・・・

「はい」

祈りが通じたのか何コール目かにその子のお父さんが出てくれました。

事情を説明し、どうにかお店の最寄駅まで迎えに来てくれないだろうか・・

とお願いをしたら、すぐに行きます!とのことですごく安心したことを覚えています。

既に電車がそのお店の最寄駅の1つ手前の駅まで来ていたので、駅で落ち合うことになりました。

駅に降りてエレベータを探したけれど、、無い(その当時は設置は義務付けられてなかった)。

階段で降りるしかない。。。

フラフラしている友人と友人の荷物をかかえ必死で階段までたどり着きました。

でも階段をなかなか降りられない。1段降りては座り込み。。

座り込みながら這うように降りていました。

すると親切なオジサンが声をかけてくれました。

「お嬢ちゃん大丈夫かい?」

ちょっと歩けなくて。。

と言うと

「おっちゃんがオブってあげるで」

と言ってくれました。

ただ、見た感じとても細いおじちゃんで、私たちの方が体格が良い感じにすら見えました。

でも男の人の力を侮ってはいけない。

と思い直し、見守っていました。

でも、その友人、何回も言いますが体格めっちゃよくてぎっしり筋肉が詰まってるので、、

おじちゃんが階段に座って、おんぶして、よいしょ、っと立ち上がろうと2㎝ほど腰を上げたところで

ペタン

と尻もちを付いてしまいました。

・・・・やっぱり無理だったか。。

悲壮な状況だったのですが、あまりにコント見たいで心が和みました。。

思い出すと笑えるんですが、当時は必死。

「ありがとうございます。でもきっと難しいので、、ありがとうございました」

とお礼を言うと、

「おんぶは無理やけど、抱えることはできるから」

と抱えて下まで一緒に降りてくれました。

それだけでだいぶ助かりました。

何とか、何とか駅でその子の父親と落ち合えて、冬なのに汗だくになった私は

使命を何とか果たすことができました。

それからその子は入院を繰り返すことになるのですが。。

何で、しんどいのとか辛いのとか痛いのとかをもっと分かって上げれなかったのか

何で、顧問に言って車で送ってもらわなかったのか、

もっと早く楽にしてあげることができたのでは無いか、

ずっと頭の中を想いがグルグルと黒い渦が回っていました。

するととめどなく涙が溢れました。

自分の無力さと気転の効かなさに呆れました。

後輩に偉そうに言ったりする癖に、きっと後輩に何かあったとき
私は何もしてあげられないんだろうと思うと

後輩にも何も言うことができなくなりました。

そして、その子が退院して戻って来たくらいのころに

「何で、私と一緒の帰り道だった子、2人いたのにその子らは

助けてくれなかったのだろう。一緒に送り届けようとしてくれなかったのだろう」

と微かに思うようになりました。

黒い黒いグルグルが頭の中を支配しました。

みんなへの不信感と、そんなことないという信じたい気持ちと

結局自分はみんなと同じで、この友人に何もしてあげられなかったではないか。。

という思いがグルグルグルグル。。

引きこもりになった友人に再度会いに行かなかった理由にもこの黒いグルグルが

頭によぎったからということもあります。

「結局私は何もできないのに、中途半端に行動しているのではないか」

なんとかしなきゃと思う気持ちと、何にもできないくせに

という黒い想いが高校を卒業して10年以上経った最近まで続きます。

 

その黒い想いを少しでも払拭したい。。

そんな思いで、その友人のお父さんが営むお店に行ったのは今年の10月。

行こう行こうと思い続けて何年経ったでしょう。

会ったら、その友人に聞きたいこと沢山。。

 

 

勇気を振り絞って暖簾をくぐりました。

 

 

続く

 

 

 

 【GFMGは、バスケットボールブログです。】
GRIN★FACTORY工場長&2号が、現役選手としてこうありたいという想いを 日々綴るバスケブログです。
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この記事を書いた人

バスケ歴:松陽ミニバス→中学は陸上部→甲子園学院高校→園田女子大→大阪ガス(2016年3月退部)

小5で始めたミニバスで将来を嘱望されたが、地元中学にバスケ部がなかった。周りからは越境も勧められたが陸上部に入り、全中出場を果たす。 その後兵庫県でNO,1だった甲子園学院に中学未経験ながら堂々入部。 入学時はバッシュもなく底を綺麗に拭いた運動靴で練習をし見かねて顧問の先生からもらうなど、様々なエピソードの持ち主。「涙は分泌物」と言い放ち、心が鉄のように動かないため、鉄子とも言われている。

大学卒業後は一般企業に勤め、数年プレーしない日常を楽しんでいたが、会社の飲み会にてたまたま大阪ガスの試合に誘われ流れのまま入部。 工場長と出会う。チームでは常に30点は得点あげていた絶対的エース。

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