ただもう一度「全国制覇」を。【GFMG】

さぁ、お盆休みですねー!

1週間のリアル出店のワガママした分 お盆休み無し。

で、通常通り働いております。

 

そんな、私たち1週間の野外活動の一番の成果は、肌荒れ。

夜には大量のじんましん発生。 やっぱ太陽は苦手な工場長です。

まいど、どうも。

 

さ、さて。 この間の日曜日。

私の短大時代の恩師の「偲ぶ会」が執り行われました。

 

 

「本日は足元のお悪い中・・・」

 

は雨の日の挨拶冒頭に使うものですが もはや、

足元どころか背中も何もかもびちょびちょになる超悪天気にも 関わらず、

卒業生含め500名以上が集まりました。

ココ数年で一番天気の悪い日に500人以上集めるなんて・・・

やっぱり凄い先生の元にいたんだと。。。

密かに鳥肌・・・

偲ぶ会

前が見えない・・・

ホテルへ向かった際も卒業生やろな・・と思わせる 異様なオーラの集団が梅田のそこここに居ました(笑)

 

バスケットボールが、ただ「面白い、好きだからする」から

「日本一を目指すステージ」そんな経験ができたのは この先生が私を拾ってくれたお陰でした。

 

高校時代も、毎日毎日練習で、バスケットボール以外のこと考えてない生活で

もうちょっとでインターハイというところまでいってたものの、

でも、今思えばそこがゴールという取り組みだったなぁと思います。

 

短大以上でのバスケットボールは、その位置はまだ スタートですらありませんでした。

もっと早くその意識でプレーしていたら

もうちょっとマシなプレーヤーだったかもしれないなと思いますが、

 

まぁそれは今だから思うことで、後悔とはまた別のお話。

 

 

家族から離れ寮に入り、四六時中バスケット部の先輩後輩しか周りにいない生活。

 

起床後、部屋単位で担当の場所を寝ぼけたままもぞもぞ掃除。

 

食事当番は食事準備、食べ終わると学校へ。

授業が終ると練習、 練習が終ると寮へもどって食事・お風呂・ミーティング・消灯。

のくりかえし。

甘える相手なんて、甘える隙なんてどこにもありませんでした。

弱音を吐く隙間も無い。 弱音を吐く=負けの世界。

でも、当時の私は、もっと凄いの想像して覚悟して 入学・入寮したので

なんならちょっと楽しんでいました(笑)

 

※その想像は甲府に行く時こそ必要だった想像でした。

優先順位1位がバスケットボール。

2位とか無し!(笑)

 

全てがバスケットボールにつながる生活でした。

結局私はついてくだけで精一杯で。

だいたい最初の1年くらいは先生が何言ってるか聞き取れないし

急に何に怒りだしたのか、暴れだしたのか・・・

さっぱり分かりませんでしたもん(笑)

 

 

・・・・とにかく、怖かった |||(-_-;)||||||

 

このレベル・環境にいれるということに誇りのようなモノを感じつつ、

同時にこのレベルだと一番後ろを必死で追いかけるしかない自分に

劣等感を感じまくった2年間でした。

 

点数の開いたような試合にしかでれず引退を迎えました。

 

なのに、就職先は同期の中で一番強い日本リーグ1部所属チームでした。

先生が違う高校から引っぱってきた私にいい就職先をと気を利かせたのと、

異様にある根性を買われ押し込まれた先は、

日立甲府・・・

 

じ・ご・くでした(笑)

 

薫英の何十倍もキツイ生活(笑)

 

あれは、無いわ、先生。(笑)

いつか、言ってやろうと思ってたのに(嘘、無理)

逃げたくなった時には先生方の顔をつぶしたらあかんと必死に耐えたのを思い出します。

あと、逃げたりしたら、先生に殺される・・・と思ったのもデカかった(笑)

先生は晩年病気で背中や腰は激痛が走り、

声すらろくにでなくなってっていたそうです。

でも、歩くのがやっとの状態でもコートに向かい采配を揮い続けました。

 

私は今のGRIN★FACTORYでの仕事が好きですし

またプレーも続けさせてもらっていて 毎日好きなことをして、

後悔の無い日々を過ごしているつもりですが

余命を宣告されるような病気に対面した時に ぶれずに今やっていることをやり続けるかなぁ・・・

と思うと

 

全く持って自信がありません! キッパリ!

 

死が目の前に見え隠れしていても 先生の本当にやりたいことは、

旅行にいくでもなく、 のんびりするでもなく、

 

もう一度、全国制覇を成し遂げたい。

 

それだけだったんだなぁと、先生の信念の強さ、

バスケットボールへの想いの強さを改めて知り、

そんな方に指導してもらっていたことに 今更ながら、凄いことだったんだと思いました。

 

先生がいなくなったことで、今後がいろいろ心配な母校ではありますが

先生不在でもインターハイベスト4をもぎ取って来た高校生や

それを、支える大学生、一丸となって頑張ってほしいと思っています。

 

私は、今の立場で後輩たちに何か出来ることがあれば 協力したいと思っています。

Tシャツの差し入れくらいなら・・・(笑)

 

先生のように余命を宣告されてもぶれないほど、

今やっていることをやり続けるほどの自信はありませんが、

元気に身体が動く今のベストは今やっていること やろうとしていること!

それは、確か。 だからお盆休みがなくてもへっちゃらさ(泣)

先生

合掌。

 

 

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この記事を書いた人

バスケ歴:松原第三中学校→府立松原高校→大阪薫英女子短大→日立甲府→大阪丸紅→ふれんど→大阪ガス(2016年3月退部)→

高校大阪3位と高校時代までの戦績は今ひとつながら、その後はチームメイトの活躍のお陰で大学生ではじめての全国大会を経験する。 その後所属した日本リーグ(現WJBL)、国体、全国クラブ準優勝、オールジャパン、全国実業団大会など様々な大会出場経験。

2007年にバスケットボールウェア専門ブランドGRIN★FACTORYを立ち上げ10年目を節目に法人化しGRIN FACTORY株式会社とする。 ちなみに実業団であった大阪ガスに復帰したのは36歳の時。半年ほど前に入部していた2号に出会う。※2016年学生時代のチームメイトに誘われ出場した日本スポーツマスターズ大会で2年連続全国準優勝を果たし、3度目の正直の全国優勝を狙っている。。。

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