バスケとアオハル⑦【GFMG】

18日の朝。

 

お昼くらいには事務所へ辿りつけるだろう。

と、高をくくっていましたが、結局ほぼ終日電車は動かず、
車での出勤を試みるも、高速道路も通行止め、ナビの到着時間が17:00を指し示し、
更には集荷時間が15:00(普段は17:00ごろ)となったことを聞き
もう行ってもあまり意味ないという結論に達し家でブログを書いている(この時18日)

どうも、2号です。

朝、そろそろ出発しようかという時間に大きな揺れを感じ
TVのニュース速報が一気に地震のマグにチュードと震源地を
表示し始めました。

阪神淡路大震災の時は幼すぎて何もわからない中
必死でしたが、大人になった今
こどもの時と違った恐怖を感じるようになったな。。と思います。
(震災の時のお話はこちら→https://grin-factory.com/?p=734

どのお客さまもどうかご無事でありますように。

GRIN★FACTOYRYは工場長も私も、めいちゃんもこうちゃんも巨人も
メンバー全員無事でした(*^_^*)

唯一、電車内に閉じ込められ、出張の飛行機に間に合わず
会社にも行けず、家にも戻れなかったのは父:トミー(ツトム君)。

私が事務所へ行くことを諦め、車で迎えに行ってあげなければ
12時間ほど電車内にいることになっていたでしょう。

しかし、迎えに行ったとき時はお昼12:30。
お腹減り過ぎて、パンと牛乳を手に改札から出てきたときは笑いました。

 

 

 

牛乳て。

まだ大きくなる気ですよ、ツトム君(65歳)は。

 

 

 

☆∞∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞∞☆∞∞∞☆∞∞∞☆∞∞∞☆∞∞☆
第7話 2号の過去Ⅱ

「いつものように練習試合をしていたんじゃ」

相手は古豪の『三浦ミニバス』。

歴史も古く、そのころは有効だったボックスワンというゾーンディフェンスを
得意とするチームだった。

 

2号はその時4年生の終わりごろで、6年生のガード選手と交代で出ていた。

 

ゾーンディフェンスの崩し方なんて、ミニバスの子が考えてできるもんじゃない。

 

ガードと言ってもボールハンドリングがよくて、一番ボールを持っていて安心できる子が
自動的になっている感じだった。

三浦ミニバスのゾーンディフェンスは長年かけて伝わっていたディフェンスだけあって
なかなか崩すことが難しかった。

誰か一人上手な子が切り込んでいって、相手のゾーンも崩れるということがミニの世界では多かった。

指導者もそこまで細かくは分析したりせず、「子ども成長を助ける」くらいの気持ちでしていたので
詳しく指導できなかったのも事実。

相手が意志を持って仕掛けてきているのに、無策というのは
気持ちもドンドン押されてしまうもの。

 

それはスコアを見ても一目瞭然で、1Q目は2点差だったのが2Q途中で8点差にまで開いていた。

2号のチームの6年生ガードは指導者の同じく、当たり前だがなにも「策」が無かった。

 

でも相手チームのガードはどうだろう。

 

ディフェンスの時もメンバーに声をかけ、オフェンスの時も積極的に
仲間に指示をしていた。

 

「チームの歴史の違いを感じたし、何より指導者、自分のふがいなさを感じた試合じゃったなぁ」

 

6年生のガード選手がその日はことのほか不調だったが、交代をするとふて腐れる困った子で、
できるだけ気持ちよく、楽しくプレーするようにみんなが気を遣っていた。

 

「でも2号はそんな気遣いをみんながしていることに気付いてはなかったんじゃ」

 

「あ、やっぱり?」

「うむ」

と2人は笑いだしました。

(その頃2号はくしゃみを2回)

 

そう、そんな細かいことに気付く2号では無いのだ。

 

「コーチ、私もっと試合出たい」

と2号は直訴した。

 

遠ーくから小さい声なのに 聞こえた。あれはテレパシーか。

 

 

6年生のガードの子は「なんやねん!4年のくせに!」

とふて腐れてしまった。

 

 

「2号さん、みんなの努力を水の泡に・・」

新作さんは、手に取るようにその時の空気が分かりました。

 

「はっはっは。2号はただただ試合に出たかったんじゃ。

でもだからと言って言いに来るように子では無かった。
いつもボーっとしていて、ボールを持ったら人が変わるといった感じじゃったから。

でもあの時は、ベンチのコーチ陣の無策さと点差広がるチームの状況を、
『このままでは何にもせずに負ける』と
なんとなく肌で感じてたんじゃろう」

確かにこのまま負けるのも良くない、かと言って何か策があるわけでもない。

 

だから2号を試合に出してみようと思った。

すると2号はオフェンスの時、トップの位置からからウィングの仲間にパスを出すと
逆サイドのコーナーまでビュンと走り、大きな声で

「パス!パーーーース!」と言った。

味方はびっくりして2号にパスを出したが、敵にカットされてしまった。

 

 

「目立ち過ぎです・・」

「でも、それが狙いじゃった」

 

2号は今度はトップにほかの人を持ってきて、自分と同じことをさせた。

「パス!パーーース!!」

 

またもや皆がそちらに気を取られていると、2号はゴール下へロングパスを出した。

 

ボールが空中にある間

 

味方のセンターが外向きから内向きに体の向きを変えただけで
ディフェンスは背後に置いてけぼりにでき、キャッチしてすぐシュート「2点!」となるようなパスだった。

「でもセンターの子もその声に気を取られて見てなかった」

 

外側を見ていたセンターの後頭部をボールがすり抜けてエンドラインの壁にぶつかった。

痛恨のパスミス。

「ドライブインからの2対1の合わせは、お互い体がゴールの方に向いているし
パッサーの顔(目線)を確認できるからキャッチしやすいんじゃ。

でも、こういった意表を突くパスはディフェンスだけでなく味方をも欺いてしまうんじゃ。」

 

それからも2号はスペースに対してパスを出し続けた。

 

「ワシらコーチ陣は2号を怒ったよ。いくらいいプレーをしても
そんなパスをするのではなかなか正規のガードにできない。

するとその試合をたまたま見ていた高校の指導者が言ったんじゃ。

 

『あの子を怒ってはいけない。あの子のパスをキャッチできれば2点。
あの子はノーマークになるスペースにパスを出しているじゃないか。』」

 

「パスミスを怒らない・・」

 

「そうじゃ。それはなかなか難しかったよ。でも

ワシらはその言葉を信じることにしたんじゃ。

そして2号に聞いてみた「なんで誰もいないところにパスをする?」

すると

「誰もいないから。」と言われたよ。

まるで禅問答じゃった・・」

 

 

 

「小学生に振り回されますね・・汗」

 

「ははは。確かに!

 

でもね、今までのミニバスで上手いと言われていたプレーヤーは
高速ドリブルで抜き去って、レイアップで2点!ジャンプシュートで2点!というのが多かったんじゃ。

1人上手な子がいるチームがある程度勝てた。

 

2号はそれよりパスで周りを動かした方が全員で勝てる。と思っていたかどうかは別として
それでもパスプレーにこだわっているようじゃったよ。

止まっているところにパスをしてもディフェンスは崩せない。
1対1の力が無くても少しでもゴールに近い位置で、ディフェンスからずれた位置でもらえたら
シュートが打てる。

だからドリブルがうまく無くても、ボールを持った状態からの1対1が弱くても、
切り替えのクイックのタイミング、ボールを持っていないところでどんな動きをするかで
活躍のチャンスがあることを知ったよ。

それからは、2号のパスを怒るんじゃなくて、そのパスをキャッチするよう
練習をしたんじゃ。

 

すると5年生になって少し経った頃、みんなが『パスがくるかもしれない!』と緊張感を持って
プレーするようになった。

上手なワンマンプレーヤーを大事にするより、皆で戦うことを大事にすることで
チームは一皮むけたんじゃ」

 

 

新作さんはいつか2号に言われた「偉そうやな、皆で戦ってるのに」という言葉を思い出しました。

 

 

「チームはあまり負けなくなったよ。2号がいる5年生が6年生に勝つこともまぁまぁあった。

それくらいあの学年は強くなった。

 

そして、そのヒントをくれた高校の先生がまた試合を見に来てくれて2号に言ったんじゃ。

 

『今度は取りやすいパスを意識しなさい。空いてるからパスするというのではなく
その手前のコミュニケーション、合図、味方の体の向きや位置を意識すること。

 キャッチできてこそナイスパスなんだよ。
 
 
 キャッチしてくれるチームメイトがいてやっとナイスパスになる。
 そしてそれがナイスプレーを生むんだよ』
 
 
2号はまた、それを忠実に実行することになるんじゃ。

ま、2号は考えて動くタイプじゃなかったけど、「負けたくない」
と思った時、どうすればいいか考えていたんかもしれんのー。

 

細胞レベルで(35億)」

 

 

「・・・え!?」

 

新作さんは途中からミニバスの話ということを超えて聞き入っていました。
(最後の35億以外)

 

そして自分のパスはどんなだったか、ベンチで試合を見てるとき

「自分ならこうしよう」という具体的なプランやアイディアをもつようなことはあったか。

キャッチしてくれないチームメイトに嫌な感情を持ったりしなかったか。
ガードのパスに、意図を感じたことはあったか。。

 

白髪のおじいさんはベンチから立ち上がり

 

「さて、そろそろ帰ろうかね。朝から昔話をして少し疲れて眠たいよ。はっはっは。
歳は取りたくないもんじゃ」

 

新作さんは、何だか沢山聞きたいことがあるのに考えがまとまりませんでした。

 

そして、自分と同じ中学時代、2号はどんなだったか、
自分と同じ悩みを抱えていたんじゃないか、

そう思い至り

「あの!2号さんは僕と同じように中学時代悩んだりしたのでしょうか!!?」

 

すると少し離れたところからおじいさんが言いました。

「あの子は悩むとか無いと思うがのーーー」

 

 

・・・た、確かに。。

 

愚問を最後にしてしまった。。

 

 

うなだれる新作さん。

 

「というか、あの子は中学時代バスケしてなかったがの」

え?今何か聞こえたぞ!?

 

え!?なんて言いました?え、え?バスケしてない?何で??聞き間違え?

 

「え、え?あのー!!あの?聞こえてますかーー?あのーーー!最後なんて言ったんですかーーー?」

 

何で聞こえて無いんだ!!

 

みんな僕のこと、無視し過ぎ!!

 

半泣きで家路まで走って帰る新作さんなのでした。

 

つづく。

 バスケとアオハル① 新作さん登場
 バスケとアオハル② 新作さんと謎の女と犬との出会い
 バスケとアオハル③ 初めての朝練~序章~
 バスケとアオハル④ 初めての朝練~バンブーソードの暗躍~
 バスケとアオハル⑤ 食べるのも寝るのも練習のうち
 バスケとアオハル⑥ 2号の過去Ⅰ
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この記事を書いた人

バスケ歴:松陽ミニバス→中学は陸上部→甲子園学院高校→園田女子大→大阪ガス(2016年3月退部)

小5で始めたミニバスで将来を嘱望されたが、地元中学にバスケ部がなかった。周りからは越境も勧められたが陸上部に入り、全中出場を果たす。 その後兵庫県でNO,1だった甲子園学院に中学未経験ながら堂々入部。 入学時はバッシュもなく底を綺麗に拭いた運動靴で練習をし見かねて顧問の先生からもらうなど、様々なエピソードの持ち主。「涙は分泌物」と言い放ち、心が鉄のように動かないため、鉄子とも言われている。

大学卒業後は一般企業に勤め、数年プレーしない日常を楽しんでいたが、会社の飲み会にてたまたま大阪ガスの試合に誘われ流れのまま入部。 工場長と出会う。チームでは常に30点は得点あげていた絶対的エース。

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