逆境を乗り越える方法【GFMG】

 

ソチ五輪を見るため夜更かしして 寝不足気味の どうも2号です。

 

 

ただ 日本人選手が出場するまで起きてるのに
肝心な場面でうたた寝をして
見逃すことがほとんどです。。

 

高梨選手、残念でしたね。。
でもこの負けはきっと財産になるし これからの競技人生にプラスになると 信じています。  

 

 

 

 

 

 

本当に強い選手は負けてから強くなりますもんね。

逆境に強い選手を見ると 胸を打たれます。

 

心に響く選手といえば、私には1人の 先輩が思い浮かびます。

その先輩が 先日の全国実業団大会をもって 一線を退くことになりました。

 

先輩は高校時代にお世話になり、
大学時代も同じ関西1部リーグで 対戦もしていました。

高校時代、自分のことで精いっぱいだった私は 先輩方と話すことなんて、

ほとんど無かったのですが、 この先輩のプレー、教えてもらったことは鮮明に覚えています。

 

私の中学校にはバスケ部がありませんでした。

 

そのため、本格的にバスケットを始めたのは 高校時代からとなります。

 

何の迷いもなく 「やるなら強いところで」 と単純に考え、
素人がインターハイ常連校に バッシュも無いのに入部したわけです。

 

今振り返ると恐ろしい。。

神経の図太さは生まれつきです。

 

バッシュないから運動靴を洗って 履いて行ったし
(顧問の先生が見かねてバッシュくれた)

 

服も無いからそこらへんのジャージを 着て行ったし
(周りは中学の県選抜のジャージとか着てました。 そらエリートが多いのは当たり前ですよね)

そんな感じで 「バスケやりたい」だけ(見てくれとかどうでも良かった)
の気持ちでスタートした高校1年目。

 

中学時代、陸上部だった私は
なぜか走るのが速いと思われがちで コートネームも「HAYA」に決定。

ちなみに陸上部の入部の目的は
「高校でバスケを始めるための基礎能力を身に付けること(走・跳・投)」。。

 

他の競技をすると癖がつくし、できるだけシンプルな競技が 良かった。

 

その先輩は身長が160㎝無いのに めっちゃ跳ぶし、めっちゃ走るのが早い。

50M走は6秒台やったと思います。

 

バスケ部に入部してすぐ 先生が急に 「2人で競走してみろよ」
と適当な指示がされて、走らされるものの そんなん勝てるわけありません。

 

先生の中のイメージは きっと私が勝って
「こいつもすごいところがあるんだよ 」 ってしてくれるつもりだったのだと思いますが、

残ったのは微妙な空気だけでした笑

 

先生ゴメンナサイ。

でも 「すごい人がここにはいるんだ」 と思わせてくれるのには十分で

「この人のプレーを盗めば、1分くらい出場できる チャンスが生まれるかも!」

とかけっこに負けてからキラキラしていました。 (周りはまだ微妙な空気に包まれていましたが)

 

そんな先輩は中学時代は無名選手(高校ではスタープレーヤー)で 中学の顧問の先生が

「そんなにバスケしたいなら私の母校の先生に
話したげるから行ってみなさい。 強いところでやりなさい。」

 

と、このインハイ常連校に入部することになったのです。

それまで、その高校名も知らなかったと言っていました。

 

そんな背景もカッコよく見える要因の一つでした。

スターには逆境が必要ですよ、やっぱり。

 

そんな先輩のプレーは 男の子も真っ青なストップからのジャンプシュート!

フォームも男の子みたいにかっこいいんです。

どんな態勢からでもゴールに正対するところまで きちんとボディコントロールして バシっと決めて来てくれます。

 

先頭を走るフォワードにズバッとナイスパスを出す。

パスは左右同じように速いスピードで出すことが出来ます。

 

DEFでは誰よりも低い姿勢からスティールを狙い、手を抜いたりしません。

 

そして、誰よりも   楽しそうでした。

 

負けていても、

「何とかしてくれるのではないか」

と期待させてくれる、応援したくなるプレースタイルでした。

 

大学卒業してからは、自らトライアウトを受けて 東京海上日動ビッグブルー の 一員となり、第一線で活躍。

 

しかし活動資金不足のため、2011-12シーズンを最後にWJBLから退会を表明。

関東実業団リーグ所属チームへと姿を変えて活動されていました。

 

小さくてもできるんだぞと いつもプレーから元気をもらっていた そんな先輩が引退。

 

引退試合を応援しに行った先輩の話では、

誰よりも小さくて、誰よりも走っていて   そして誰よりも楽しそうだったと。  

気持ちがこっちにも伝わって来すぎて 始まる前から泣きそうだったと。  

 

いつか言われた言葉を思い出します。

「HAYA、やっぱりな、 バスケは楽しんでこそやで。 楽しんだもん勝ちやで!」

勝ちが形にならない時、乗り越えるべき壁が見えた時 思い出す先輩の言葉。

 

応援しに行った先輩は、今はバスケをしていないのですが
引退試合を見て もう一度バスケをしようと 決意されたそうです。

 

「あの人と一緒にバスケしてみたい!あんなプレーヤーになりたい!」

そう思われる先輩は、本当にすごいなと 思いました。

 

長い間お疲れ様でした。

そしてこっちに戻って来たら バスケット教えてください!

 

高校時代に教えてもらったジャンプシュート、 今でも私は忘れていません。

 

 

PS:先輩が教えてくれた名言 ステッカーに使わせてもらってます。

 楽しんだもの勝

 

 

 

 

 

 

 

【GFMGは、バスケットボールブログです。】
このブログバスケウェアブランドGRIN★FACTORYの工場長&2号が、現役選手としてこうありたいという想いを 日々綴るバスケブログです。
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この記事を書いた人

バスケ歴:松陽ミニバス→中学は陸上部→甲子園学院高校→園田女子大→大阪ガス(2016年3月退部)

小5で始めたミニバスで将来を嘱望されたが、地元中学にバスケ部がなかった。周りからは越境も勧められたが陸上部に入り、全中出場を果たす。 その後兵庫県でNO,1だった甲子園学院に中学未経験ながら堂々入部。 入学時はバッシュもなく底を綺麗に拭いた運動靴で練習をし見かねて顧問の先生からもらうなど、様々なエピソードの持ち主。「涙は分泌物」と言い放ち、心が鉄のように動かないため、鉄子とも言われている。

大学卒業後は一般企業に勤め、数年プレーしない日常を楽しんでいたが、会社の飲み会にてたまたま大阪ガスの試合に誘われ流れのまま入部。 工場長と出会う。チームでは常に30点は得点あげていた絶対的エース。

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