ミニバスをしてないと中学校では試合に出れない?【GFMG】

昨日、工場長が自宅から 「瞳・元気」が収録されたCDを持ってきてくれて

初めて原曲を聴きました。

でも、、   違う。。

私の想像と違う。。

何か、ちゃう。

ちゃうねんなー。

 

もちろん原曲の方が正しいけど、、 原曲が正やねんけど。。

  なんか、ちゃうねん。

瞳・元気

瞳・元気

  どうも、2号です。

 

ふと、今一緒にバスケットしたりする友達や友人は
ミニバスをかじってた頃見たり対戦した相手だったりすることが多いことに気づきました。

 

みんなスタープレーヤーだったり、今だにスターだったり。

 高校の同期も先輩もそうです。

 

「中学校から始めたので、ミニバスプレーヤーには勝てません。。」

 

そう相談されることも沢山あります。
そんなことは決してありませんが。。たぶん。。

 

 

そりゃ沢山ボールを触って頑張ってきた選手よりうまくなるには

  相当な努力が必要なのは確かです

強いチームはそれ相当の時間を練習に当てています。

 

 

時間だけでなく質を高めようと指導者が日々バスケットについて研究しています。

 

 

で、ご存知の通り(?)私は中学3年間バスケットを辞めていました。

(バスケ部が無いので陸上部へ)

 

 

 

ミニバス時代覚えてもなかった、でも確実に同じ市内で対戦していた
相手チームの選手に高校になって再会し、そしてその子はたちは相当上手くなっている訳です。

 

一気に国体選手候補です。

 

3年間頑張ってきたのが、体つきや顔つき、自信溢れるプレーから感じれます。
兵庫県代表で全中メンバーに選抜された選手のほとんどが ミニバスの時に試合をしたことのある子です。

 

 

その子たちも何人か私の事を覚えていたようですが、私はもちろん プレーは小学生のままです。笑

私はきっとがっかりさせたでしょう笑

 

中学入る時も2年生の途中にも、バスケ部のある校区に移る(越境?)ことを 強く進められました。

でも、私は陸上部に残りました。

(でも高校はやはり陸上部を止め、バスケ部に入りました。)

 

 

 

  さて、   この選択は間違っていたのでしょうか。

 

 

たーしーかーに! 上手になるには、整った環境に身を置くことが近道ではあります。

 

優秀な監督・指導者に先輩・後輩・そして同期。
練習に適した体育館に学校のカリキュラム。
学校が部活に対する姿勢。 卒業後の進路の安定。
意志が弱い人は、強制的にでもやらざるを得ない状況に身を置くことが ある程度は良いかもしれません。

 

 

 

先日閉幕されたアジア大会の特集をTVで見ていると、
元は中国で体操の選手だった人が現在日本で指導者として活躍していました。

 

その指導者の方は言います。

「中国は嫌でも、その競技に適しているとなったら、
強制的にそれだけをさせられます。 それは家族の生活がかかっているからです。
オリンピックで優勝なんてすれば一生食べていくことに困らないでしょう」

 

中国では、体操に適しているだろう子どもを集めて、更に適性検査を行うそうです。
その結果、身体能力、骨格が大成するかもしれないという基準を満たせない場合は 強制的に故郷へ帰されるそうです。
 好きだからするのではなく、国や家族のためにやります。

(誰にために頑張るかはそれぞれちがいますね)

 

そこが日本とは違うということでした。

中国のその指導者の方は 「日本が今強くなってきているのは、そこに大きな違いがあるからだと思う」
とのことでした。

もし、あなたが自分が好きなことを望まれた環境でできないとしても、
その環境をフルに活用すれば、良い環境で練習している選手にも追いつくことができると思います。

 

頑張っている姿は誰かが見ていて、その環境へ引っ張ってくれることもあります。
頑張っている人は応援したくなります。

 

 

そうゆうものです。

「君の頑張りは必ず誰かが見てる」バスケ格言ステッカー

誰かはわからないけど

自分から環境を求めることも、変えていくことも大事。

でも与えられた環境で目いっぱい頑張ることはもっと大事。

 

だって、それで頑張れない人は、良い環境が与えられても頑張れないと思うから。

ミニバスしてないと中学校入ってバスケ部入っても試合に出れない?

 

 

 

 

んなことあるかーい!!

 

 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

バスケ歴:松陽ミニバス→中学は陸上部→甲子園学院高校→園田女子大→大阪ガス(2016年3月退部)

小5で始めたミニバスで将来を嘱望されたが、地元中学にバスケ部がなかった。周りからは越境も勧められたが陸上部に入り、全中出場を果たす。 その後兵庫県でNO,1だった甲子園学院に中学未経験ながら堂々入部。 入学時はバッシュもなく底を綺麗に拭いた運動靴で練習をし見かねて顧問の先生からもらうなど、様々なエピソードの持ち主。「涙は分泌物」と言い放ち、心が鉄のように動かないため、鉄子とも言われている。

大学卒業後は一般企業に勤め、数年プレーしない日常を楽しんでいたが、会社の飲み会にてたまたま大阪ガスの試合に誘われ流れのまま入部。 工場長と出会う。チームでは常に30点は得点あげていた絶対的エース。

コメント

コメントする

目次