【GFMG】後進に道は譲らない。先行きます。

通勤定期が復活し、

交通費のブルジョワジーが終了した

どうも2号です。

 

金持ちじゃないのに、金持ちばりにお金を使うと
日々自粛しないと いけない気持ちになりますね。

  THE小市民。

 

今日は昼から工場長がマスターズの全国大会に出かけていきました。

ぶつぶつ文句垂れていましたが(笑)
自分で決めて出場するのだから 全力で頑張ってくれると思います。

マスターズチームの中では若者の部類らしいです。(ニヤリ)

 

なのできっとコート中を駆け回ってくれると思います!笑

野暮用をばらしてしまいましたね(ニヤリ)あかんかったですか?

・・・こんなこと書いてるから、何書くか忘れてしまいました。。

 

あ、そうそう。 (ほんとに書きながら思い出しました)

「後身に道を譲る」

これは個人的にバスケではあまり必要の無い言葉だと思っています。

 

やりたければやればいいし、辞めたければ辞めればいいし。

後輩より走れるなら抜かしてしまえば良いと思います。

そりゃWリーグの選手とクラブチームの人、家庭婦人やマスターズの人、

立場やスタンスによって意識に差はあるとは思いますが、基本はそう思います。

 

でも「後身に道を示す」ことは必要なことだなと、中堅?の域になって思います。

 

 

高校時代のチームのキャラクターは「オレンジラビッツ」でした。

その繋がり?で意識なく元Wリーグの名門チーム「JALラビッツ」の動画を見たりします。

JALラビッツはご存知の通り、第12回Wリーグ(2010年-2011年)の終了後廃部となりました。

  理由は、JALの経営破たんによるものです。

  JALラビッツのバスケスタイルは「スクリーンを使ったコンビネーションプレー」

全員が1人1人の動きを把握し、いつの間にか空いている選手へボールが渡りシュートを 決めてくる。

緻密な連続動作を繰り返し、少しずつズレを作って隙を作っていく。

魅了されます、あのパスワーク。

ほんと、チームでシュートを決めてる感じなんです。

このスタイルは、イム・ヨンボ監督の熱血指導(韓国の方の熱血指導は本当にすごいんです。。)

によって 作り上げられたオフェンスシステムです。

(1998年にWリーグのJALラビッツ監督に就任し、当時3部リーグだったチームを 2005年には全日本総合選手権で優勝するまでに育てた。 2009年までJALラビッツ監督を務め、2011年から昨年までは新潟県バスケットボール協会の 巡回コーチとして地域の指導者や選手たちを指導してきた。 2005年のJALラビッツ優勝は日本で映画や小説にもなるほど大きな反響を引き起こした。 2014年 09月 19日ネット新聞記事より)

 

イム・ヨンボ監督は厳しい指導で有名でしたが、選手たちを「娘」だと思っていると 語っていました。

チームは家族だと。

のちに山梨クィーンビーズの監督に就任しましたね。

縁を感じますね笑

 

話はズレますが、山梨クィーンビーズが羽田ヴィッキーズを62―53で下し、

念願の1勝を収めた時 (それまでチームはシーズン開幕後12連敗、過去3シーズンを合わせると35連敗を記録していた)

監督は言いました。

「世界大会で良い成績を収めたときより、今日の勝利がうれしいです」

  JALで全日本選手権を制したこともある監督。

世界で活躍した監督が涙を見せながら語ったと言います。

 

ここでもチームの解散が決まっており、士気が下がるなか、80歳の監督の熱は冷めていなかった。

プレーヤーだけじゃない、 監督だって、スタッフだって一緒に闘っている。 ファンも声をからして応援してくれている。

全員ひっくるめて「家族」。

「選手だけでなくチーム関係者、ファンを含めみんなで泣いた」1勝だった。     J

ALのプレースタイル、山梨クィーンビーズでの1勝。

この経験ができた選手たちはきっと、これから先々でバスケに関わる時 ずっと体に染みついて離れない感動を持ったままバスケライフを送ることができます。

  イム・ヨンボ監督は後身に道を譲るのではなく、後身に道を示した素晴らしい監督さんだなと思いました。

JALのラストイヤーに廃部が決まっていても入部した2名の新人。

「JALのあのオフェンスに魅せられた」と言っていました。 コーチ兼プレーヤーだった矢代直美選手、岩村裕美(大阪薫英高校・薫英短大卒!)選手は JAL一筋で頑張ってきた選手。

 

その選手たちが口をそろえて「このスタイルを伝えたい。残したい」と言っていました。

クリニックや練習に参加した高校生などに伝え続けていたJALのスタイルは どこかで、誰かに根付いているのだと思います。

後身に道を譲る必要はありません。

でも後身のことを考えて道をならしておくこと、種をまくこと、道を示してあげることは 大切だと思います。

後身にとって心のよりどころになるような、財産になるような。

それを考えて行動できる人はやっぱりかっこいい先輩やなって思います。

一生懸命やること、全力で走ること、悔しくて泣くほど、嬉しくて泣くほど練習すること、 一生にそう何回もできることではありません。

  でも今その舞台があるなら、やるべきです。 きっと財産になる。

だから中堅になろうと後輩に走り負けたくないし、先輩なんかに負けたくない。

伝えてあげられるような技術が少ない分、一生懸命やった方が 絶対お得やで! と、それくらい伝えられればなーと思っています。

 

PS:自分だけ頑張ってもできることはしれてます。

みんなで頑張れば何とかなることも増えるかも!?笑

後輩を巻き込んだ方が良い科学反応が出るかも!?

そんな事言いながら自分だけでも上手くなって一人で悠々と前走ってやろうと 思ってます笑 上手くなれるような機会があれば後輩押しのけてそっと前出てやろうってまだ思っています。

 

目の上のたんこぶ。

 

  PSのPS: なんとなく、ほんと、なんとなく楽天ユーザーにもお得を感じてもらおうかなと 思って出品しましたが、、

本店のお客様で欲しいかたは言っていただけたら 楽天分からぶんどって発送しますので。

 

連絡先:shop@grin-factory.com   ※本店では売ってないので。。

楽天だけの企画ぶってるので。。

(なぜか) http://item.rakuten.co.jp/auc-grinfactory/tsumarihangaku-1/

つまり半額

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【GFMGは、バスケットボールブログです。】
GRIN★FACTORY工場長&2号が、現役選手としてこうありたいという想いを 日々綴るバスケブログです。
ミニバス選手や中高バスケ選手とその保護者さんにもコメントやメールを沢山頂き、
私たちも励まされています!
ぜひ、ひと味違うバスケウェアブランドGRIN★FACTORYのブログ、お楽しみ下さい。

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この記事を書いた人

バスケ歴:松陽ミニバス→中学は陸上部→甲子園学院高校→園田女子大→大阪ガス(2016年3月退部)

小5で始めたミニバスで将来を嘱望されたが、地元中学にバスケ部がなかった。周りからは越境も勧められたが陸上部に入り、全中出場を果たす。 その後兵庫県でNO,1だった甲子園学院に中学未経験ながら堂々入部。 入学時はバッシュもなく底を綺麗に拭いた運動靴で練習をし見かねて顧問の先生からもらうなど、様々なエピソードの持ち主。「涙は分泌物」と言い放ち、心が鉄のように動かないため、鉄子とも言われている。

大学卒業後は一般企業に勤め、数年プレーしない日常を楽しんでいたが、会社の飲み会にてたまたま大阪ガスの試合に誘われ流れのまま入部。 工場長と出会う。チームでは常に30点は得点あげていた絶対的エース。

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