【GFMG】昨日の続き!1対1がうまくなるには・・

人間の治癒力はすごいと、怪我をするたび思う。

健康の大切さも、シャワーの水がしみるのと同じタイミングで感じている

ほとんど完治だと、そう 思っとります

ほとんど完治だと、そう
思っとります

どうも、2号です。

 

試合をすると、痣や打ち身、筋肉痛だかなんだか知らない痛みは まぁいつものことです。

(血が吹き出したのは初めてでしたが)

だるい。。体が重い。。

ストレッチの大事さを思い知るように なって少し経ちました。

 

学生のころは何にも感じなかったこの感覚。

若いというのもあったし、毎日練習やらトレーニングをしていると

麻痺もしますし、 寝たら忘れるし。←これ重要

 

それに、これは社会人になって試合に40分フルに出場するようになって感じるようになりました。

それまでは交代要員で、全然しんどいこともなく(コートに入って  5分くらいはしんどいですが)、

何試合しようがおかいまいなしでした。

 

体力も身体もできていたのだとは思いますが、何より気持ちが楽だったような気がします。

  これ、全然ダメダメな楽さだったんですけどね。

 

楽じゃなくて、他力本願ってやつでした。

心のこもってない「頑張って~」ってやつです。

まぁ6番手7番手ならまだしも、大学時代はそれ以下だったし、

試合出たくても顧問次第のところもあったし。

 

その顧問は練習には来ないのみに試合では指揮を執るので

何を言ってるのかもわかりませんでした。

 

そう、これ全部言い訳ですけどね。

同じ環境で試合にきっちり出て、結果を出し続けている人たちもいましたので。

 

懺悔?暴露?しますと、大学時代のこと、あんまり覚えてないんです。。

(頑張ったり、努力をしなかったから)

 

1年生、4年生は覚えているんですが、途中すっぽり抜けています。

 

主に思い出すのは高校時代のことばかり。

それだけ濃い3年間だったし、結果を出すのに必死になったし、

みんなに引っ張ってもらった素晴らしい高校時代でした。

 

でも大学へ上がり、そんな過去の栄光にすがっていた私は 次第に試合に出れなくなりました。

すがっていたというか「あれ?なんで?」

という疑問を払しょくできないまま 4年間過ごしてしまった感じです。

 

何で練習にも来ない顧問が指揮を執るのか?

みんなはそれに何も思わないのか?

 

何で自分ばかりチームの仕事を任されるのか?←会議に出席とかで、練習時間削られる。。

(大学時代「主務」という文字通り、主にチームの事務を行っていました)

 

大学1年生の時は、韓国からの留学生(現韓国代表の人たちとチームメイトだったような子)

との 繋がりで、 金先生という本来なら月に100万円ほどコーチ料を取られるような プロコーチが来てくれて、

それはそれは充実した1年目でした。

 

  強豪チームには大差で負けていたようなうちが、

5点差以内の接戦を 何試合も展開できたのは一重にこの金先生のおかげです。

 

非常に情熱的で、怖くて、、でもとても好きでした。

 

日本のたくあんと韓国海苔を交換しようと言い、

交換してもらったことは良い思い出です。

 

高校上がりだったので、厳しいことには慣れていたし、

バスケを1日中することにも 不満はありませんでした。

 

でも先輩たちは違っていました。

早く終わりたい

早く帰りたい

バイトに行きたい

遊びたい

 

金先生が来るまで、1日の練習時間はたったの1時間半から2時間。

終わると体育館が空いていても、速攻帰ります。

 

ストレッチもアイシングもなし。

キャプテンの纏めの話も上の空。

 

それが金先生が来て1日中になったり、練習試合で遠征したり。

「今までと違う!」ということが反発心となり、

注意されるとふてくされてどっか行ってしまいます。

 

何人も辞めていきました。

同級生も短大生含めて20人弱いたのに、4大を卒業するころには 3人しか居ませんでした。

 

私は、当時も今も、情熱ややる気がある、金先生に巡りあえて本当に良かったと思います。

そうじゃないと、大学なんて来なきゃ良かったと失望のうちに1年目を終えることになっていたからです。

 

もしかしたら大学自体辞めていたかも知れません。

 

  もともと高校時代は先生、チームメイトの力によってインターハイやらウィンターカップやらに

行かせてもらっていたので、 個人的な能力が低かった。

認めたくなかったですけどね。

 

  だから金先生からたくさん教えてもらって上手くなりたい!と思っていました。

 

  幸い?先輩たち(2回生が特に)が遠慮がちというか、

「できればやりたくない」という 雰囲気だったので、

しゃしゃってスタメンのディフェンスをさせてもらったりしました。

 

  その分、よく怒られました。笑 上手くない分ヘマするので笑

 

1年目は何とかいくつか試合に出させてもらったし、

インカレの舞台も経験させてもらえて とても充実していました。

 

そんな恩師金先生は何年か前に韓国でお亡くなりになられました。

今でも時々思い出します。

 

  名前ではなく、地名で呼ばれていたことを。。

「ひめじー!!」

 

先生、、 ちなみに私姫路出身ではありません。笑

 

2年生

1年の約束を終えて金先生が韓国へ帰って居なくなると

、顧問が指揮を執ることに。

でも体調が優れなかったこともあり、ほとんど練習にはきません。

結果前年度に得た技術は全く生きませんでした。

 

3年生

新しいコーチが来ました。

実は2年生の途中から来てくれていましたが、1年通しては始めて。

練習には来るものの、練習内容や指導方法が男子寄りだったため フィットせず、

最後挨拶もなくフェードアウト。。

いついなくなったっけ?

 

  4年生

さぁ自分たちの年! という春休みの合宿中に大けがをしてほとんど何もできないまま終わる。。

コーチは昨年卒業した1年上の先輩。

この先輩、雨の日は、来ないんです。。

笑 統計を取ってわかったことですが。。

しかも後輩から 「現役時代のあの先輩のプレーや生活態度知ってて ついていく気がしません!」

と言われる始末。 「私も・・」と言いたいところをグッと我慢したことを覚えています。

 

  4年生の出来事はまたの機会に書くとして、そんな感じで2年生・3年生のことは 箇条書きくらいにしか覚えていません。

 

試合に出ている先輩の 「試合なんて出たくないわーしんどいし」

という言葉に 驚愕し、失望。 練習で声出したって意味がない。

応援したって意味がない。

仕事ばっかりさせられて、なんじゃこりゃ。

 

そんな思いばかりに支配され。。

ここで発起して頑張ればよかったのに、私は頑張らなかった。

だから4年生になって、今から頑張ろうとしたってうまくいくわけなく 大怪我。

 

  気持ちは持ち直したものの、プレーは戻らず、そのまま卒業。

大学卒業とともにバスケも辞めました。

 

バスケが嫌いになっていました。

 

何の責任感もない私は、後輩たち、同級生に申し訳なかった思い出しかない大学時代。

せっかく1年生の時、素晴らしい先生に学んだのに、生かすこともなく。。

しかし社会人2年目とすこし、ヒョンなことからバスケに復帰することになりました。

それが今のチームなのですが。

 

もうやる気なかったのに、 バスケを辞めてから1度たりもとやりたいとか、

ボールに触りたいとか思ったこともなかったのに、 復帰。

 

そして現在、ありがたいことにまだバスケをさせてもらっています。

プレーヤーに復帰して、学生時代と意識が180度変わったことがあります。

それは「自分が何とかしないと!」ということです。

 

  他力本願ではなく、自分が何とかしないと!という思いが、過去と比べて今が一番強いです。

なぜそう思ったか。。すごい悪い言い方ですが、、

 

それはチームメイトがあまり上手じゃなかったから。

誰かが何とかしてくれるということは見込めなかったから。

それなら自分の方が何とかできる可能性があるのではと思うようになったから。

 

  1対1の上手くなる秘訣は正直分かりません。。

 

でも、こんな考え方はおこがましいけど、私は 自分が1対1で勝てないとチームが劣勢になってしまう!

と思い込んで毎試合臨んでいます。

 

会社員だったころも、月・水と仕事終わりにバスケしに行って、

もしかしたら 体育館空いてるかも。。と信じて金曜日も体育館へ。

 

コートが空いてなかったらトレーニング、ランニングをして帰る。

 

  試合や練習になると、そういった積み重ねが如実に出ることがあって、

ますます頑張ろうと思いました。   体力作り身体作りは個人でできます。

 

継続することはなかなか根気がいりますが、 結果が出始めると、

それをしないと不安になります。

 

そしてトレーニングをすることが普通になります。

 

全ては自分が試合で活躍したいから。

 

  自分が活躍できればチームが勝てる可能性も高くなると思い込んでいるから。

過去の私は 「チームのために」をきれいごとに使っていたと気づきました。

  自分が活躍できないことへの言い訳だったのです。

しかも何の努力もせず。

我儘でもなんでも「自分だけは勝ってやる」という気持ちに 切り替えてから、プレーが変わった気がします。

 

  学生時代の私は、相手チームからすると

「何も怖くないプレーヤー」だったと思います。

もしくは「いたっけ?そんな選手」レベルです。

 

  学生時代から技術が向上したか、うまくなったか、と問われれば疑問です。

でも確実にメンタルは変化したと言うことができます。

 

  1対1が強くなるには、やはりメンタルだと思います。

いかに相手より優位に立てるか、強気でいけるか。

でもそれを教えることは大変難しいことだと思います。

特に試合に出ていない選手に対しては。

「自分が活躍したい」というエゴが出て初めて上達したいと思えるものだと思います。

 

「自分が何とかしないと」という状況に来て初めて強く持てるものだと思います。

 

よく練習で1人の選手をターゲットに怒り続けるということがあります。

あれは、そういったことの疑似体験をさせているのかなと思います。

 

  練習試合では1人にずっと攻めさせ続けるということをしても良いかもしれません。

  なんせ、「自分で感じること」

「1回こてんぱんになるまで攻めさせてみせること」

が 荒療法ですが、良いような気がします。

 

  チームスポーツだからチームで勝つというのは、それはそうです。

 

でも個人の個人の能力を上げるには、試させてみせることも同じように大事だと思います。

(通常それをさせてもらえるのは、エースだけですが。。)

  1対1を強くさせたいなら、1試合やらせ続けること。

 

自分がやらならいと負ける!

くらいまで思うことがやはり1番大事だと思うので、

指導者の方はどうやってそう思わせる練習をするかだと思います。

 

まぁ自分で気づいてくれるのが一番なんですけどね。。笑

 

  PS: 左目を怪我したのに、右目をうまく開けれません。

どうやら左目が効き目だったようで、右目だけでは光の調整がうまくできず、

結果両目を閉じてしまいます。。

 

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この記事を書いた人

工場長・2号のバスケ経験者が運営しているバスケウェアブランドです。
デザイン、製作、販売、発送まで全部2名で行っています。

最近、バスケウェアにとどまらずいろんな場面でGRIN★FACTORYを使ってもらおう!とFUNシリーズに取り組み始めました。

ここGFMGではバスケに関係すること、しない事、いろいろ書いています。
どうぞよろしくお願いします。


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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 普段の5対5の時には控えメンバーには、「次の試合に出るチャンスやし私にアピールと思って強気で攻めなさい」と助言はするのですが…空回りもしますね(笑)
    でも正直 1試合出した事は中々ありませんね…反省。
    練習試合の時にでも何人かチャレンジしてみます。
    相乗効果も期待して!!

  • 控えに周っているということは、きっとスタメンの子たちより
    足りていないところが多いのだと思います。
    でも頭でわかっていても、身を持って感じることは少ないと思います。
    チャンスがあれば1試合出し続けてみてください(^^)

    控えの選手が引っ込み思案なプレーになる原因のひとつは、「ミスしたら交代させられる」という試合に対しての恐怖感もあると思います。
    チャンスを生かすのが控えの選手の腕の見せ所ですが。。

    あと、控えの選手のモチベーションがチームのモチベーションになることも珍しくないですよね。。

    高校時代、急に試合に出してもらって、結構長いことプレーさせてもらった時は
    嬉しかったし、それなりに自信になりました。
    試合の感覚というのは出て感じるしかないと思い知った瞬間でした。

    あと、次代で試合に出るであろう選手には、先輩より技術が劣っていても出し続けたりしていたなと思い出しました。
    不思議なことにそのうちその先輩たちと変わりないプレーヤーになっていたりするので
    試合慣れは侮れません。。

    1対1の話からは少しずれてしまいますが、メンタルを鍛えるって難しいですねー。。
    怒ってばかりでもダメでしょうし。。うーん。。

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