伊達公子さんに感動した【GFMG】

首が痛いなーと思ったら普通に扁桃腺が片っぽ腫れていた

どうも2号です。

 

一昨日、ニュース(好きな報道ステーション笑)を見ていると伊達公子さんの引退試合が報道されていました。

※GFMGでの報道ステーション:【GFMG】思てたんとちゃう④の冒頭前置きに注目

 

いや、ほんまに。。

伊達公子さんって、やっぱりめちゃくちゃかっこいいなと。

言い訳無し、プロとして今の自分では勝てないと、判断しての引退。

その動画がYouTubeにあがっていたので共有します。

※修造さんのコメントも泣けます

 

伊達さんの年齢で、キャリアで、それでも「テニスが好き」だと断言できることが
すごくかっこよくて、本当のことだと曇りなく思えます。

「バスケが好き」とはよく聞く言葉ですが、その言葉に伴うだけの努力や立ち振る舞い
(対戦相手に舌打ちしたり、味方をバカにしたり・・)
をしてる人が周りにいないこともあり、私はあまりその言葉を信じてないことが多いです。

同意で言えば
「うまくなりたい」と言いつつ、練習やらないとか。
「試合で活躍したい」と言いつつ、アップを十分にしないとか。

 

なんやそら・・・、的なやつです。

あ、よくLine@で「うまくなるコツってありますか?」的な質問が、愚問がありますが、
そんなんあったら私も知りたい(笑)ってことで、そんな手っ取り早いコツなんてありません。

 

伊達さんが言っていた「テニスを通して人として成長してほしい」という言葉・・。

悔しい思いをして、なにくそと思って努力したこと。
苦しい時に助けてもらったこと。
辛い時応援してもらったこと。

そして、
自分が勝った時、まるで自分のことのように一緒に喜んでもらったこと。


そういったことを長いキャリアで繰り返され、伊達さんの一部になったんじゃないかなと思います。

だって、試合みたら応援したくなりますもんね。

そんな選手ってなかなかいないと思いませんか?

 

 

そしてやっぱり一流の選手っているんだなって改めて思ったんです。

一過性の一流選手じゃなくて、みんなの記憶に残って、みんな心に残る選手。

王さんとか長嶋さんとか、澤穂希さんとか・・。(ほかにもたくさん。)

今現役でめーっちゃ活躍してるけど、その選手たちでも誰しもがなれるわけではない、そんな境地にいる選手。

 

どこかの段階でとびぬけていく選手。

 

それは戦績だけでない、何か、それこそ「光るもの」を持っている選手。

そんな人と同じ時代でいられるということが幸せだなぁと思います。

 

伊達さんが25歳で引退して、復帰したのが12年後の37歳。

NEVER TOO LATE 遅すぎることはない。んですね。
地でいかれるとすごいとしか言葉出ませんが・・。(*_*;

 

今週末から兵庫県で日本スポーツマスターズ大会が行われます。
日本スポーツマスターズ2017兵庫県大会

 

 

工場長も出ます。ニヤ。こんな記事の中にさらっと入れる悪い私。。ニヤ。

優勝目指して頑張ってもらいたい。

今日も早めにジムへ行ってもらおうと思います。

 

 

そしてそんなベテランさんにも、年齢いってから頑張ろうとバスケをスポーツを始めた方にも
お勧めのNEVER TO LATEウェア販売してます。

もちろんCONTINUE TO EVOLVEウェアも。

改めてお知らせするのは理由があります。

 

 

スポーツマスターズ前ってことと、

 

伊達さんが引退されたってことと、

ブラックTシャツが再販されたってこと。

 

これが一番でかい。

 

 

NEVER TOO LATE系商品
NEVER TOO LATE系

ブラックはカモフラ

CONTINUE TO EVOLVE系商品
CONTINUE TO EVOLVE系

カモフラもええなぁ

 

これからの季節にばっちりのスウェット系もお勧め!!

 

PS:※GFMGでの報道ステーション:【GFMG】思てたんとちゃう④の冒頭前置きに注目の一文で
思てたんとちゃうシリーズに登場する友達のアメーバブログの内容が
どんどんやばくなってます。

安定して彷徨い続けており、還ってきません。。おーーい。

 

PS:工場長から「キリン一ついる?」と言われましたが、丁重にお断りしました。

トリオストラップ

 

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この記事を書いた人

バスケ歴:松陽ミニバス→中学は陸上部→甲子園学院高校→園田女子大→大阪ガス(2016年3月退部)

小5で始めたミニバスで将来を嘱望されたが、地元中学にバスケ部がなかった。周りからは越境も勧められたが陸上部に入り、全中出場を果たす。 その後兵庫県でNO,1だった甲子園学院に中学未経験ながら堂々入部。 入学時はバッシュもなく底を綺麗に拭いた運動靴で練習をし見かねて顧問の先生からもらうなど、様々なエピソードの持ち主。「涙は分泌物」と言い放ち、心が鉄のように動かないため、鉄子とも言われている。

大学卒業後は一般企業に勤め、数年プレーしない日常を楽しんでいたが、会社の飲み会にてたまたま大阪ガスの試合に誘われ流れのまま入部。 工場長と出会う。チームでは常に30点は得点あげていた絶対的エース。

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