【GFMG】終電

大学の時、一瞬でしたが尼崎に下宿していました。

バスケ部顧問の持ち家(もともとは顧問の祖母の家)に
大学2回生の10か月くらい。

顧問の娘さん(1つ上のバスケ部の先輩)と
韓国人留学生と中国人留学生と私と4人で住んでいました。
(全員バスケ部)

下宿させてもらっていた家はは3階建ての縦長で
決して広いわけではありませんでしたが
暮らすには十分でした。

韓国の子が持って帰ってきてくれる韓国海苔やキムチおいしくて、
台所の冷蔵庫からはキムチの匂いがプンプンしていました。

大学の時だからできた共同生活。

なんか懐かしい。

人と違った経験というのは、その時は面倒なこともあるし
大変なこともあるしけれど

後から思うことは、やってよかったということが多いような気がします。

その時の異国文化交流はなかなか楽しかったな。
今となってはなかなか踏み切れることじゃないです。

先輩はその後アメリカに語学留学し、そこで知り合ったアメリカ人の方と
結婚しそのままアメリカのシカゴに住んでいます。

その先輩が今一時帰国か何かで尼崎に返ってきました。

そして連絡がありました。

「ハヤ!!(私のコートネーム)バスパンやら作ってるの?
 買いたいねんけど!」
 
 
 
あまり知られてなかった私の職業も少しずつジワジワと伝わっているようで
アメリカの先輩にまで知られていました。

そして帰国してすぐ買いたいと言ってくれました。

なんか嬉しいなぁ(^^)

外国人の友人でも紹介してもらって英語教えてもらおかな。

先輩の入れたいネームが当たり前だけど日本語と英語が混じってて
憧れを感じた

どうも、2号です。

先輩はなんと双子を出産して数年経ちますが、そのあたりも踏まえて
色々と「もってる人」だなぁと思います笑

双子ちゃんは男の子と女の子で、先輩にも似てるけどやっぱり外人さんの顔だちで
なんか遺伝子やらの凄さも感じます。

また一緒に住んでいた韓国人の子はそのまま日本に滞在し日本人の男性と結婚し
確か今三児の母です。

この子も尼崎に住んでいるのでそろそろ久しぶりに会いにいこうかな。

一人身のいいところは、色々と自由なところですね☆

好き勝手に連絡をとり、相手に合わせて時々会いに行きます。

だからか卒業して何年経っても繋がっていられます。

 

またSNSが普及して繋がることが容易になりました。

アメリカの先輩と繋がっていられるのはまさにそのおかげだし、

特に興味のない仲良くなかった友人と「友達」の枠に収まっているのも
そのおかげです。

ただ中国人の子とはさすがに音信不通で。
その子の実家は中国に着いてから7時間もかかる「田舎」だそうで。

ネット環境もあまりよくないとのことでした。

生活は物々交換とか言ってたけど、、
リー、元気かな笑

 

たまに中国の実家に電話していたけど、早口の中国語は
何を言ってるのか全く分からなかったな。笑

 

でも184センチの巨体を折り曲げて前髪を切ってくれ
すごいことになったことは忘れられません。笑

 

ついでに言うと眉毛も無くなった笑

いつかリーにも会いたいなぁ。

 

 

大学と言えば、高校時代と違うところはバイトをしていたことです。

 

普通はバイト禁止なんですけどね。
関西一部リーグにいて、バイトを黙認してくれたのは
うちの大学ぐらいじゃないでしょうか。

三ノ宮でバイトをしていた私は、バイトが終わると終電で尼崎まで帰っていました。

その最終電車の時間と終点に変更があったことを知らず、最寄駅まであと2駅となったところで
「終点です」のアナウンス。

 

 

「え・・?」

 

 

やばい。

 

財布には200円しかない。

 

 

なんでいつもお金がなかったのか。

学生時代は
お金は無いし、お腹はいつも空いていたような気がします。

 

タクシーに乗って帰って、家の3人の誰かにお金を借りたら済むのに
頭に浮かんだことは

 

 

「歩いて帰る」

 

でした。

 

 

都心の2駅は余裕でしょうが、地方の2駅はかなりあります。
途中に一級河川を超える道のりだったのでかなりの暗闇ウォーキングです。

でも体力には自信があったので(お金は無かったけど)歩きだした私。
夏だったということもあり、夜道は涼しいし行けると思ったのでした。

 

 

後ほど甘い考えだったことが分かるのですが。

 

 

とりあえず線路をつたって歩けば問題なし!
と、意気込んで歩いていたのですが、

なんと、

違う線の線路を伝っていました。。(今津線)

 

分かりますか?

分かりますか?

 

そんなこと気づかず歩き続ける私。

当時はスマホもありませんでしたので。

小1時間くらい歩いたくらいに

「あれ?見えてくるはずの川が見えてこない」

そう不安になった私。

そしてタイミングよく電話がかかってきました。

「ハヤ、遅いけど何してんの?」

一緒に住んでいた先輩でした。

状況を説明すると

 

「それ違う線路伝ってない?」

 

・・・

あ!?

 

その時ようやく状況を把握した私。。

 

 

そしてどこまで歩いてきたか分からなくなった私。。

 

 

呆然と立ち尽くす。

 

 

周りは暗闇。

 

 

「とりあえず西宮北口駅まで戻って!」

 

と指示があり、夜道をまた歩いて引き返しました。

 

そして何とか西宮北口まで戻り、再度間違わないように挑戦。

→まだ行く。

 

 

今度はちゃんと伝って歩く。テクテク。

 

順調!!

もう大丈夫だ!

と安心したのは束の間、

 

 

目の前に川の堤防。。

というかコンクリートの壁で
前に進めない。。

 

つまり・・行き止まり。。

😯

 

そらそそうか、電車の橋の横に歩道用の橋が付いているわけもなく。。

 

かなり遠回りして車と歩行者用の橋まで行かないといけない。
でも武庫川という一級河川を渡らなければ家には帰れない。。

 

堤防の上に出られる道、川沿いの走っている道路に上がる階段を探して
歩きまわって自分の位置が分からなくなってきたとき

 

携帯が鳴りました。

 

 

「今どこ!?」

と先輩の声。

「今自転車で迎えに向かってるから!」

そう言って川の近くまで迎えに来てくれました。

 

もう河川敷の住人に混じって寝るしかないか
という思いがよぎっていたので神の声に聞こえました。

 

何とか橋のところまで行けた時、遠くから

「ハヤー!」

と言ってこっちに向かってくる自転車が3台。

 

一緒に住んでいた韓国人の子と先輩と、

私を面白おかしくいじってくるもう一人の先輩と3人で。

 

「何してんの!?めっちゃ歩くやん!」と大爆笑の3人。

 

私は疲れて、「行けると思ったんやけどなぁ」と言いつつ
自転車に乗せてもらいました。

 

「あほやなー無理やってー川あんのに」

 

トホホ。すみません。。

 

その後、帰りの自転車を超スピードで漕いで競ったり
夜道を大声で歌を歌いながら笑ったり。

 

何が起こってもなんでも面白かった学生時代。

お金もある、車もある。
大人になったら便利に、スマートに進むようなことも

学生時代は
横道それたり、失敗したりして、

でも結局すごく楽しかったなぁ。

 

今考えるとぶっ飛んだことや、ヘンテコな子が輪の中心にいて、
本当にあり得ないことが沢山起きて、それをいちいち目くじら立てることなく
流しつつ、傷ついたことも、苦しかったことも吸収して、

 

そして大人になった気がします。

 

たくさんの思い出と、たくさんのいけないことと、たくさんの失敗と
たくさんの友人と笑い合ったことが、いつも楽しく思いだされます。

 

もちろん沢山怒られました。笑

 

何もなくて、すべてあった学生時代。

 

そんな時代をバスケ部にいてよかったなぁと思います。

仲間がいてよかったと思います。

この週末は久々にアメリカから返ってきた先輩と、大学時代の後輩と会います。

楽しみです。

 

またいつもの話で笑うんやろなー。

 

注意:良い子は夜道を歩いてはいけません。

 

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GRIN★FACTORY工場長&2号が、現役選手としてこうありたいという想いを 日々綴るバスケブログです。
ミニバス選手や中高バスケ選手とその保護者さんにもコメントやメールを沢山頂き、
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この記事を書いた人

バスケ歴:松陽ミニバス→中学は陸上部→甲子園学院高校→園田女子大→大阪ガス(2016年3月退部)

小5で始めたミニバスで将来を嘱望されたが、地元中学にバスケ部がなかった。周りからは越境も勧められたが陸上部に入り、全中出場を果たす。 その後兵庫県でNO,1だった甲子園学院に中学未経験ながら堂々入部。 入学時はバッシュもなく底を綺麗に拭いた運動靴で練習をし見かねて顧問の先生からもらうなど、様々なエピソードの持ち主。「涙は分泌物」と言い放ち、心が鉄のように動かないため、鉄子とも言われている。

大学卒業後は一般企業に勤め、数年プレーしない日常を楽しんでいたが、会社の飲み会にてたまたま大阪ガスの試合に誘われ流れのまま入部。 工場長と出会う。チームでは常に30点は得点あげていた絶対的エース。

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