怖い人は悪い人?【GFMG】

日曜日のお昼。

生まれて初めてうどんを作り(しかも出汁だけ)

家族ニュース1位を堂々獲得した

どうも、2号です。

癖がつよい

癖がつよい

いつも私や家族のご飯を作ってくれる母が不在。

 

午前中外で遊びまくった姪と甥とじぃじのトミー(私の父)と妹

全員が昼寝に入った日曜日のお昼。

 

豪快ないびきをかくトミー。    うるさ。

 

私はお腹が空いたのでご飯を食べていたのですが、

ふといびきが止みました。 

 

「 !”#=)=|)(‘&|~~ 」

 

何か声が聞こえます。

「ん?」

 

と耳を澄ますとそれはトミーの声でした。

 

 

「・・・いた・・」

 

「ん?」

 

 

「お腹すいた・・」

 

 

(´◉◞౪◟◉)

 

寝ながら空腹を訴える父:トミー。

 

 

流石。。

流石と書いて「さすが」。

(さすが、お弁当のおかずが少なくてリュックの中に落ちてるんじゃないかと
ごそごそ探したりするだけある。w)

 

でも私にとって「冷蔵庫にあるものでちゃちゃっと作る」ことがどんだけ
レベルの高いことか。

 

ダメ元で冷蔵庫を覗くと「うどんの玉」が。(あと豆腐とかも使えそう)

 

でも出汁は付いてない。。

 

適当に出汁を作り(ホンダシやら醤油やらみりんやら塩を適量入れた)、

父に

 

「うどん食べる?作ってみたけど」

 

と言うと、そんなに珍しかったのか飛び起きてきて

 

「やればできるじゃないか」とうどんをすすり出しました。
(もちろん豆腐も出しました)

 

 

すると妹も起きてきて「ちょっと頂戴」と出汁をすすっていました。

 

「適当に作ったから美味しいか分からんで」

と言うと

「うどんの出汁とか適当でええねん。だいたい普通にできるから」

 

(´◉◞౪◟◉)あ、そんなもんなんや

と初めて知りました。

私は家では料理をしない主義を貫いていますので

この「うどんを作った」という事実は家族中を駆け巡り、

母に至っては、朝、寝ている私を揺すり起こしてまで

「うどん作ったんだって??」

と聞いてくる始末。

 

朝の早い時間にそれを聞くために起こすのは止めてほしい。

やっぱり料理はするべきじゃない。
朝早く揺すり起こされることになる。。

風が吹けば桶屋が儲かる  的な。

そらちょっと違うか。

 

そうそう、日曜日の午前中に久々にバスケットをしたのですが、

(私と妹がバスケットをしている間、姪っ子・甥っ子・トミーの
三人組は外のアスレチック公園で遊んでいた)

全然筋肉痛がきません。。笑

オカシイ。

どうやら日常生活レベルの運動しかできてなかったようです。。

せっかく動いたのに。。あーあ。

 

バスケットの内容は練習ゲームだったのですが、相手チームが
中学バスケ時代の仲間とその時の顧問の先生とで構成されていて

先生はその日はプレーされていなかったんですが、
クラブチームってそういうところがいいなぁと思いました。

先生はきっと嬉しいだろうなぁと思います。

卒業しても自分を慕ってくれる。

慕うっていうのもいろんな形がありますが、、

だって自分の中学生の時の顧問や高校の時の恩師は
慕ってはいますが、同じ空間にずっと居れる自信が全くない。。

今GRIN★FACTORYにお手伝いに来てくれているHさんは
高校・短大時代の顧問の先生のことを

「絶対無理。めちゃ怖い。死ぬほど怖い。」

と言い続けています。笑

 

 

その先生は工場長の短大時代の顧問でもあり(被っていませんが先輩・後輩関係です)

既に亡くなられているのですが、それでも

「キーホルダーとかタオルとかに記念品で先生の顔がプリントされてるやん!
 もう絶対無理やから見せたり、持って来たりせんといてほしい!」
 
 
と未だに恐怖でおののいています。(本気で)

 

Hさんの母校の部旗(横断幕)には

『奮闘また奮闘 一刻一秒 命を張れ!』

朱文字で書かれていて、その朱文字は血文字じゃないかと噂が流れるほど厳しい高校でした。。

 

でもやっぱり顧問の先生には感謝してると思うんです。

「慕ってますね」

と言うと、「慕ってへんわ!めっちゃ怖いんやから!」

と言うでしょうが、きっと感謝はめっちゃしています。(と思います)

 

世界の演出家、蜷川幸雄さんが死去されました。

舞台「身毒丸」で当時15歳でオーディションに受かり
舞台に立つことになった藤原竜也さんの蜷川さんへの言葉。

「あの人がいなければ、僕という俳優はいなかった」

「身毒丸」からの19年間を「罵声を浴びせられたことしかない。怒られてばかりでした」と振り返り、

「ケンカもしますし、憎しみ合ったりもした」と明かしつつ
「凄い人でした。本当に。太刀打ちできない人でした」と存在の大きさを強調していました。

 

仲の良い先生もいれば、恐れおののく先生もいます。

 

でも自分に対して本気で向き合ってくれた厳しい先生には、
結果的にはやっぱり感謝します。

後から振り返ったとき、あの時怒られてて良かったと思うことや、

ふと、昔に言われたことを思い出し腑に落ちることもあります。

 

藤原竜也さんも
「“俺のダメ出しでおまえに伝えたいことはほぼ言った。今はすべて分かろうとしなくても、いずれ理解できる時がくるから”と…」
言われたそうです。

 

いつか言われた言葉が、いつか自分の中で動き出すことがあります。

 

優しい先輩や先生だけが「良い人」なわけではありません。

適当に人気取りするために優しい言葉を言ってくる人もいます。

それは優しい言葉ではなく「自分のための言葉」なので、あなたを思いやっての
言葉ではありません。

 

優しい人は強い人です。

 

あなたに嫌わても言わないといけないことを伝えてくれる
「強い人」
です。

 

 

あなたの周りにはいますか?

 

 

 

PS:同日の日曜日の夜に、高校卒業以来に後輩たちに会いました。

  久々でしたけど、みんな変わってなかったです。
  
  後輩たちにはいろいろとお世話になったなぁとずっと思っていて
  
  「先輩たち怖かったやろ?」と聞くと
  
  「でもあの何年間かがあったから、今何があっても大丈夫です」
  
  と言っていました笑
  
  
  厳しくされると強くなれるのかも知れませんね。
  
  
  受け手のキャパや考え方にもよりますが。
  
  
  先輩は怖いもの。そういうものです。笑
  (古い?)

           なにくそ!のハングリー精神って上手になるには絶対大事ですから。

 

楽しかったなー

 

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この記事を書いた人

バスケ歴:松陽ミニバス→中学は陸上部→甲子園学院高校→園田女子大→大阪ガス(2016年3月退部)

小5で始めたミニバスで将来を嘱望されたが、地元中学にバスケ部がなかった。周りからは越境も勧められたが陸上部に入り、全中出場を果たす。 その後兵庫県でNO,1だった甲子園学院に中学未経験ながら堂々入部。 入学時はバッシュもなく底を綺麗に拭いた運動靴で練習をし見かねて顧問の先生からもらうなど、様々なエピソードの持ち主。「涙は分泌物」と言い放ち、心が鉄のように動かないため、鉄子とも言われている。

大学卒業後は一般企業に勤め、数年プレーしない日常を楽しんでいたが、会社の飲み会にてたまたま大阪ガスの試合に誘われ流れのまま入部。 工場長と出会う。チームでは常に30点は得点あげていた絶対的エース。

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