【GFMG】怒鳴られ続けたミニバス時代(初期)

母親が時々髭を生やしている時があります。

やんわり注意しようと思い、

「お母さん、偉そうに髭生えてるやん。」

と言うと、

「え!?本当に!?お母さん偉そう!? っキャー」

・・・

恥ずかしがるところが違うと思う。

どうも、2号です。

恥ずかしがる所違うやないかーい

恥ずかしがる所違うやないかーい

 

偉そうにしててもいいから、髭は生やさないでほしい。

あ、彼女の名誉のために言うと

髭と言っても薄ーい産毛ですけどね。

 

 

さて、暖かくなって、ランニングするのも勇気が必要なくなってきましたね(^_^)

新チームになって、さぁやるぞ!って人多いのでは!?

 

 

私がミニバスをやっていた時、4年生終わりから試合に出ていました。

でも、素人くささが抜けないまま
(ラグビーの癖で、ボール持ったまま走ったりしていた ⇒トラベリング)
だったので、よく怒られました。

 

新6年生の人たちには自由にやりすぎる私はだいぶ邪魔な存在だったことでしょう。
スミマセン。

でよく

2号!!(いや、本当は本名で怒られていたのですが笑)」

と大声で怒鳴られていました。

というか、怒鳴られていたそうです。。

私はあんまり覚えてません笑

でも、この「2号!!」と怒鳴られていたことが、なんと今も役立っているのです。

バスケではなく、、、、。

 

私は小学5年生の時引っ越しをしました。

小学4年生まで通っていた小学校でミニバスを始めました。

サッカーしたかったけど、「日焼けしてそれ以上男の子見たいになったらダメ!
という髭母さんに言われミニバスへ。

自分で言うのも何なのですが、私は野生児のように育ったのでそこらへんの
カワイイ御嬢さんたちより根性もあったし(膝や顔はいつもカサブタだらけ)、

(野性的に)運動神経が良かったので
何にも怖いものなしでグングン前に行くし、ガンガン吸収してすぐ人並みにできるように
なるタイプでした。
(勉強の時間は静かでしたが笑)

根性があるというか、怖いもの知らずだったというのが正しい言い方ですが。。

 

試合に出れない時は「何で出れないのか。たのしくない!私も楽しいことやりたい!」と思っていました。

 

ボール持って走る(=トラベリング)選手なんて使ってもらえなくて当然なのに。笑

でも、そんな私にも強い武器がありました。

「怖いもの知らず」の心です。

 

毎日毎日、「出たい出たい出たい!試合に出たい!」と練習の最後に行われる
チーム内ゲームの得点板をしながら念じていました。

で、学校の休み時間中は外のリングにボールを持って行ってシュート練習。

でも不思議にこの練習しているときは「試合に出たい!」「試合に出て活躍したいから練習する!」という気持ちは無く

目の前のゴールにシュートを入れることが楽しくてしょうがないというか
目の前のことに集中して、ある意味邪念がなくなるというか。。

正しく「野生化」している時間です。笑

人の目なんか気にならない。

出来るようになりたいというか、「コレ」が楽しくて仕方ない感触。。
どうすれば確率よく入れられるか、そのコツはどこか。。探究心くすぐられる感じ。。

思えば試合に出たいとか、シュートを入れれるようになりたいとか、思っていた根底は

「楽しいことやりたい」

という欲望だけだったように思います。

だから最初はだいぶセルフィッシュな選手だったと思います。

ボール持ったら絶対シュートまで行くし、相手のエースに自分の力も知らずに
べったりディフェンスしにいくし。

ボール持っている人全部にディフェンスしに行くし笑

でも、私にはそれしかその時できませんでしたから。

本能で出来ることを全力で頑張っていたのでした。

だからこそ、試合に出してもらっていたと今ならわかります。

ルールもあんまりわからなかったし、セオリーも知らない。

でも
「こいつを出せば何かしてくる」
という未知数な期待値は高かったと思います。

だって冷静なプレーをしようと思ってパスとか探すと怒られていたんです。

お前に求めているのはそんなキレイばプレーじゃないと。

強い相手と試合する時、だいたいみんな萎縮しちゃうんです。

当たり前ですが。

(新チームになった新5年生がなんだか気取ったプレーをしようとするんです。

いつもと違う感じを出すんです。)

でも私はみんなのいつもの練習風景と、その強いチームの試合風景を重ねて、

どこも劣るところは無いと思っていました。

「いつも通りやれば勝てるやん」っていつも思っていました。

その心の強さが私の最大で唯一の武器でしたから。

でも選手もコーチも相手が変わると自分達も変わろうとします。
悪く言えばカッコつけようとします。

良いか悪いか?

分かりません。

そんな緊張感漂う試合でも、私は良くも悪くもいつも通りです。

だからか

「2号!!!!!!」

大声でずっとずっとずっとずっと怒鳴られていました。

でも全然ヘコたれないし、なんせそんな怒鳴られていたこともあまり覚えていません。

試合に出れて楽しくてしょうがないんですもん

 

そのうち、ドリブルとシュートの楽しさからパスの楽しさに目覚めてからは
少し目線が上がり、周りを見れるようになったかなぁ。

 

でもとりあえずコーチが私を怒る声は試合中一番目立っていたようで。。

 

あれから20年近くたった先日。

友人の結婚式に行った時、新婦の友人数人から(私も新婦の友人)

「ミニバスの時「2号!」ってめっちゃ怒られてたよね!?」

と話しかけられました。

 

「え!?」

確かに良く怒鳴られてたけど、この人たちは誰!?

 

 

 

遡ること20年。

私が怒鳴られまくっていたその会場にその新婦の友人たちがいたのでした。

新婦とは高校のバスケ部で同期でした。

私は引っ越したし、中学校でもバスケをしていなかったので覚えていませんでしたが
新婦はミニバスで対戦していたミニバスチームのメンバーだったようです。

そしてその友人たちも。

「何で知ってるん!?」

 

「めっちゃ怒鳴れてたやん!笑
覚えてるよー♪

うちらのミニバスの子らだいたい2号のこと覚えてるで。

この話で結構盛り上がったもん」

 

私はプレーでは無くて、怒られる名前で有名になっていたようです笑

 

なんでも良い。

何かに特化して目立つということは良いことではないでしょうか。笑

 

結果20年越しに再会したミニバス時代の相手チームのメンバーと友達になりました笑

 

怒鳴られまくっていたけど、楽しくてしょうがなかった。

振り返ると、この

「楽しくて仕方ない!」

と思っていた時期が一番伸びた気がします。

grin_4

 

 

変に理屈こねるようになった時が伸び悩んでいたと思います。

やっぱりプレーヤーである以上は、言うよりやらなきゃいけないと思います。

あとは何においても気持ち!

これ相当大事です。

「いつも通りしたら勝てる」

試合でいつも通りに成果出せるか分かりませんが、

そう信じれるまで練習することと、その気持ちで臨む姿勢を持つことが大事かなとミニバス時代を

思い返しながら想っていました。

 

PS:今も楽しんでますよ!?

らーりほー

らーりほー

 

GRIN★FACTORYは現役選手が運営(デザイン・プリントをして販売)しているバスケットボールショップです。
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この記事を書いた人

バスケ歴:松陽ミニバス→中学は陸上部→甲子園学院高校→園田女子大→大阪ガス(2016年3月退部)

小5で始めたミニバスで将来を嘱望されたが、地元中学にバスケ部がなかった。周りからは越境も勧められたが陸上部に入り、全中出場を果たす。 その後兵庫県でNO,1だった甲子園学院に中学未経験ながら堂々入部。 入学時はバッシュもなく底を綺麗に拭いた運動靴で練習をし見かねて顧問の先生からもらうなど、様々なエピソードの持ち主。「涙は分泌物」と言い放ち、心が鉄のように動かないため、鉄子とも言われている。

大学卒業後は一般企業に勤め、数年プレーしない日常を楽しんでいたが、会社の飲み会にてたまたま大阪ガスの試合に誘われ流れのまま入部。 工場長と出会う。チームでは常に30点は得点あげていた絶対的エース。

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